何があっても味方してくれる人

 

 

 

私は去年の今頃私のことを味方してくれる人を失った。

どんだけ辛いことがあっても、味方でいてくれた。

深夜に彼氏と喧嘩しても話を聞いてくれた。

父と喧嘩した時も話を聞いてくれた。

友達と喧嘩した時も話を聞いてくれた。

 

 

 

でもそれは、喧嘩して私のことを全て味方になってくれる訳ではなく、それはあなたも悪かったよね、これからどうする?

等の聞き方をしてくれて、私がいつでも自分と向き合えるようにしてくれた。

 

 

 

辛いことがあったらすごい辛かったねと言って甘いものをくれたり、私が何も話さなくてもしんどそうならお茶を出してくれたりする人だった。

気配りができて、素敵な人だ。

自分はそういうことができる人ではないので尊敬していた。

 

 

 

その人のことはすごい嫌いなところもあって、ヒステリーで女々しくて、大喧嘩することもあった。

ヒステリーの時は日本語が通じなくて、毎回イライラして死ねばいいのにって言ってしまったこともあった。

「私がいなくなったら私の事なんか忘れちゃうんでしょ」

むしろほんとそうやってヒステリーなところウザかったけどいつでも覚えている。

 

一緒に買い物に行ったりするだけで心が暖かくなって、ご飯を食べて話して寝て、一緒に生活する家族というものを失うととても心が痛くなった。

 

学校も辞めてしまおうかと思ったりして、それでも私は学校に通っている。

 

母親の姿を追っていろんな人に物事を相談する癖がついていて、いろんな人に助けて貰ったりしているけども、自分のことがちゃんとできるようになるようにがんばろうと思う

 

 

ちゃんと見守ってて。

 

 

 

 

 

下書きが大量にあるブログ

 

 

 

私は自分に自信が無い。

 

 

 

良くいいことをすると、私いい人でしょと言ってしまう。

その人にいい人であるようにそう映っていたいのに、そう思うことすらおこがましい気がする。

 

そう、自信が全くない。

 

 

Twitterはよく呟くし、文章足りないなと思って沢山書くことでアカウントはたくさん増えた。

こういう話を人にするとブログを始めたら?とよく言われる。

 

 

ブログを書くというのは私にとって勇気のある行動である。

 

なぜなら下書きだらけで全く更新していないから。

更新して何かを人に思われるのがとても恥ずかしいから、更新したくなかった。

 

だけど、大切な人に「あなたの思考がすきだよ、文章化するあなたの思考がとても気になる」と言われて嬉しくなって更新する私に勇気のある1歩だと思って欲しい。

 

 

 

背中を押してくれてありがとうという気持ちで始めます……続く気がしない……。

 

 

がんばりたいです。